基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

本家ブログ「どこへいけば苦しみを愛せる」の鉄分ブログ。日帰り旅鉄の薄口訪問記。

旧国鉄下河原線跡をたどる

こんにちは、暑くてフィールドワークができないので出かけたいところが色々溜まってます。


今回は夏前に歩いた旧国鉄下河原線を。

この路線はいろいろありますが、簡単にいえば武蔵野線と同じルートなのでその役目を譲って廃止になったようか感じがします。
今回は、その廃線跡を一気に辿ったのではなく、別々の目的で府中を訪ねて結果的に辿ったような感じです。

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最初に歩いたのは「分倍河原」を訪ねた時でそれが後半、府中刑務所引込み線跡を見に言った時に前半部分を辿ったので、内容が前後しています。

まずは下河原線は始発駅が国分寺です。
学生時代の国分寺駅は今のように追い抜きのできる2面4線ではなく、中途半端なつくりの駅で、そのはじの方から八王子方面にかなり長く使われてない線路が引いてあって不思議に思ってたのでした。


今でも下り線の外側に、線路一本ぶんの空いた土地が西国分寺駅近くまであります。
その西国分寺の手前から築堤を登って武蔵野線につながっていました。

旅客営業は東京競馬場前までやっていましたが、武蔵野線の開通に伴って廃止されましたが、貨物線はしばらく生きていました。

西国分寺駅は学生時代は本当に武蔵野線の乗り継ぎのための駅で、あたりは雑木林だったのですが、すっかり市街地になってて驚きました。
何気に旧型のラインカラーの入ってない白板のものが未だに使われていて、昭和を感じさせます。

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今みんな新しくなってるのですが、全部を取り替えるまではいってないようで

下河原線自体が東芝の引込み線やその周りにも引き込み線が多数あったので、その名残か線路の数は多いです。
まずは「北府中」に。

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府中街道側の出口です

ここから府中刑務所に引込み線があったというのを知って、「おおっ、アウシュビッツじゃん」と興味深く思い見に言ったのでした。
北府中の駅を出るとすぐ府中街道。北に向かって歩くとすぐに府中刑務所の高い塀があります。

道端には線路境界を示す表記が埋まってます。それがずっと埋められてるのも珍しいです。

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これがきちんと並んでの残ってるのも珍しい。

北方向に歩いて行くと、塀が引っ込んだ不自然な形になっての出入り口になってます。

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この角度が不自然。正面玄関なら道と向き合ってるはず。

そこが府中刑務所引込み線のあとです、
反対側はコカコーラの営業所なのか痕跡らしいものはありません。

今の塀に改築する前は、もっとカーブがあって廃線跡らしかったそうです。
その時は裏口で、出所者が出て行く門だったらしいいです。

その門を看守と一緒に出て、おそらく「シャバの空気はええな」と言ってたのでしょうか。

今は一応正門扱いなのですが、土地の関係か不自然な塀はそのままなので、「そう思え」ですが「らしく」見えます。

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なお、「塀の中」は鉄道の遺構はまったくないそうです、

その旧引込み線は刑務所で必要な荷物や刑務作業で作ったものを主に搬入・搬出していたといいます。「護送」に使われていたかは多くの先人や地元の人のブログを読むと使われてなかったというのが大多数でしたが、扉の開かない特別製の電車が出入りしていたという記録もありました。

府中刑務所引込み線跡の先の交差点を左に曲がると、道路が線路をアンダーパスしています。
これがまた訳ありで、手前の大きいガードは武蔵野線なのですが、奥の単線くらいのガードが廃線跡っぽいです。

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さすがに中は東芝の敷地なのでどんなだかわかりませんが、古い電車などが置いてありました。

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また引き返し、北府中の先にループで道路がまたぐところから武蔵野線を見ると、ちょうど地下に入るところですが、脇の方に更地があります。
これが旧下河原線跡らしいです。

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そのまま橋を越え、「府中インテリジェントパーク」を通り抜けると、建物の間に路地のような歩行者道路があります。
これが旧下河原線跡の歩道です。

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R20と交差する前あたりから公園として整備してあります。
よく写真に出てくる、レールが埋め込まれてて駅舎のような休憩所があります。

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R20を超えたところに「下河原緑道」としてよく整備された歩道となってなんかして生きます。完全に緑道として整備されているので、鉄道だった遺構は確認できませんでした。

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鎌倉街道と交差するところにも埋め込んだ線路があり、「らしさ」を感じさせてくれます。また説明板も完備してあります。

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甲州街道と交差するあたりには宿場町っぽさも感じられます。

歩道はずっとまっすぐに多摩川の方を目指してます。散歩道や生活道路として使われてるようでした。
府中崖線上にあるため京王線をオーバーパスしたりと、線路の成り立ちも興味深いです。

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そのまま歩いてくと、二股に分かれてるところが。一方が旅客営業を行っていた東京競馬場線です。

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大きなカーブが鉄道時代を感じさせます。

カーブを曲がりきったところに、電車ごっこの像があり、敷地が広がって武蔵野線にぶつかります。
このあたりが「東京競馬場駅跡」と思われますが、表記も何もないので「そう思え」って感じです。

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位置的には武蔵野線の府中本町の引き上げ線の終点あたりです、
あたりは公園と隣接した住宅地です。

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さすがに暑かったので武蔵野線をくぐって反対側までいく気力もなく、分岐のところまで引き返して今度は下河原線へ、
前方に多摩丘陵の山々が見えて遠くにきたような気分になります。

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府中崖線の下に降りると、多くの水路や暗渠が緑道になって交差してます。
農地保全地区もあって水田もあり、なかなかのどかです。

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郷土の森の縁をカーブして行くと、終点の下河原らしき場所に出ます。
福祉施設の駐車場あたりと、石碑の立ってる神社のある公園あたりと思われます。

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以前の下河原村だそうです。
貨物駅だったので痕跡は例によって何もないです。ここも「そう思え」という感じです。

緑道の終点あたりは静かな住宅地ですが、すぐ隣には高層マンシションが建っています。緑道はここで終わります。
そのまま、道なりに住宅街を歩いて行くと急に賑やかになって鎌倉街道の広い道に出ると、そこは京王線の下河原駅です。

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このギャップもなかなかです。

 

 

夜中に手紙を書いてはいけないという言葉がありっますが、夜中にブログをUPしてはいけませんね。誤字・脱字の校正ミスが目立つ目立つ。

 

 

こんな感じです。読んでいただきありがとうございます。