東京湾臨港線跡をたどったら変化に驚く
こんばんは。「貨物時刻表」は非常に興味深く散歩のコースに取り入れてみたい路線も結構あります。
東北本線のダイヤを見て、夜間の貨物列車の多さにおどいたことを思い出します。
今回は前回の続き、越中島から晴海埠頭まで歩いた時のことを書きます。
越中島といっても京葉線の駅ではなくレールセンターの方。
貨物線に沿っていって方が近いのですが、あまりに遠いので新木場から一駅。潮見駅で下車。
さすがに休日なので、通る人も車もまばら。典型的な工業地です。
駅から歩いて行くと「印刷団地」の看板が、どうやらこのあたりは印刷従事者の住宅のようです。
凸版やDNPのような大手しか知らないので、初めてそんなところがあることを知りました。
確かに道向かいには印刷会社が並んでいます。
広い道を運河の方に歩いて行き、工場の間の路地がレールセンターのある埠頭に渡る橋でした。注意してないとわかりづらいです。
レールセンターの線路が終わり、真ん中の使われてなさそうな敷地の端で車止めで終わっています。
ここからが「東京都臨港線」の廃線探し&散歩です。
道の反対側は「都有地」と看板が出てて更地が続いています。
首都高速9号線の下道を回り込んで渡ると細長い何も使われてないとちが豊洲の方へ続いています。
なるべく離れないようにそばの道の歩いて追って行きました。ところどころ林というか藪になっていて覗き込むとさびたレールが残っています。空き地は運河のところで終わっていて運河は親水公園のようなプロムナードになっていたので、また運河を見ながら大回りをして反対側に出ました。
しかし、運河を越えたところは豊洲のマンション群に入っており痕跡は正確にたどることが困難になりました。しかし、緩いカーブを描く土地が駐車場に使われていました。まだそこが跡地だとはわかりませんが、区画整理されてるならまっすぐになってるはずです。この答えは先にいって時に推測できました。
とはいえ、完全にマンションの建物になってるところもあるので推測でしかありませんでしたが、その駐車場に近い道をたどって行きました、
すると、豊洲線の最大の遺構である豊洲運河の橋台が見えました。
運河は水上バスの航路になっており、橋台にカンテラみたいなものが付いていて注意を促していました。今でも活用されているようです。
豊洲駅側は公園になっていて、レールを埋め込んだプロムナードになっていました。運河のところが座れるようになっていたので水分補給を兼ねて休憩。そこで気がついたのです。
橋台の先は駐車場や半端に空き地になっています、それが帯状に続いていたのでした。
もしかして、この帯状の土地は廃線跡ではないかと。
マンション化をはじめ再開発するときは大抵完全に更地にして建物を建てて行くのが定番です。でもここではそうでありません。もしかして廃線跡地の所有者は同じ東京都でも違うのではないかと思ったのです。
確か明治通りの横の空き地は東京港管理事務所だったので、手付かずでずっとそのままだったんではないかと思ったから。
それと同じで港湾局と東京都で持ち主が違うせいかと。
この辺りは以前来た時整地されて工事していたので、レールのオブジェはここに鉄道があったというモニュメントでしょう。
そのまま公園を抜けて晴海通りを渡ると、有名な最大の遺構「晴海橋梁」。
ここから先は再開発前の古めの写真になります。
通りの方は柵がありますが正面から見れました。老朽化が一段と進んでいるのがわかります。
以前の豊洲地区が開発中の頃を見ると、周りがだいぶ変わっているのがわかります。
そして一番変わってしまったのは、橋を渡ったところからです。
以前は晴海通りの横は公園になっていて柵はしてありましたが、レールが残っていて小野田セメントの踏切の跡、
その先のヤード跡の広い土地まで写真に残っていました。まだ首都高晴海線が準備工事の段階でした。
その先は客船ターミナルと元国際展示場なので見に行かなかったのです。
実は晴海公園のあったあたりに古い建物があって、レールが埋まっていたらしいと後から聞いて勿体無いことしたなあと思ったのでした、
先日行った時には元小野田セメントのあったあたりから広く埋め立てられており、昔日の面影が全くなくなってました。
日が暮れて来たこともありここで散歩はやめて戻ったのでした、
その後にオリンピックのために晴海公園もすでに潰されてたと聞いたのでした。
スキャンは大きめでやったほうがいいですね。ひとつ勉強。
あと、雑草や木が多いから廃線跡歩きは冬か春さきがいいですね。
今日も読んでいただきありがとうございます。