四季の道と13系統の専用軌道廃線跡
こんにちは。以前、江東区の城東電気軌道と砂町線の跡を記事にしました。
思いっきり誤字をやらかしてトホホでしたけど、ボリュームのある歩鉄でした。
先に川崎市電とトロリーバスの残存車両を記事にしてしまいましたが、その前に都電の保存車両を見て回った後に歩いた専用軌道跡です。
東京近辺に住んでいる方ならご存知だと思う、新宿の「四季の道」です。
新宿区役所のある通りの交差点から、斜めに入って行く緑道があります。
ビルの裏側、ゴールデン街に向かう「四季の道」。
ここは有名ですが、この緑道は「旧大久保車庫」に向かう都電の廃線跡です。
元々は東新宿方面に向かう路線でしたが、付け替えによって今の「区役所通り」のあたりを走るようになり、回送線として使われてたとのこと。
新宿駅からの軌道は大ガードの近くとか諸説ありますが、交差点の延長線上のビルの間の道という説も。
緑道を歩いてみると、両隣の建物や店のほとんどが背中になっています。
こういう風景の道は廃線跡と暗渠以外ないので、鉄道跡独特のカーブのRと共に残る痕跡と言えるでしょう。
何度も歩いているくせに、てっきりゴールデン街の裏側だと思っていたので入り口があるとは気づきませんでした。
お酒が飲めないので行ったことなかったので、ついでに一回り。
街探索をするようになるまで、こういう飲屋街とは無縁だったので。
こじんまりでいながらディープな雰囲気の飲み屋が軒を連ねています。
さすが、「濃い人が集まる、濃い場所」です。
昼間の営業時間外の飲屋街は独特の雰囲気があると思います。
四季の道に戻って道なりに行くと、やがて開けた「テルマー湯」のところで表側の通りと合流。
多くの人が、この先からは鉄道の痕跡がなくなると終わりにしてしまってます。
しかし、はっきりとした形ではありませんがあるのです。
例えば、緑道の終わったとこにある交差点。車道が左側をカーブしていますが、広い歩行者用スペースがある扇型の道。
いかにも分岐点っぽいと思います。
そこを直進すると明治通りとの交差点です。
廃線跡は直進ですが、痕跡がないような気がしますが、一方通行の道なのに無駄に広い歩道が不自然。
この道を地図で見ると、区画整理がされてる中でこの道だけがカーブを描いて斜めに東新宿に抜けてます。
これも、鉄道跡か河川を暗渠化し道路化した可能性大です。
ここの場合、この先にある「新宿文化センター」の敷地が、旧大久保車庫の跡地ということなので廃線跡と推測できます。
その両方向の道路にしてもいい敷地の一方通行路は、その施設のところまで続きます。
大きな「新宿文化センター」を見ると現存の荒川車庫くらいの敷地があったと思われます
広い歩道はそのすぐ先の交差点で終わり、1車線幅の道路と人が歩くくらいの歩道の道に変わります。
この都電の路線は東新宿をショートカットしてますが、今の都営大江戸線の経路と重なってます。
狭い一方通行の道はマンションや住宅の間を縫うような路地になって進みます。
興味深いのはゆるいRのカーブもありますが、線路だった部分は築堤になっていたようです。
車道の部分が高くなっているのが不自然でありそれを物語っていると思います。
道なりに進むと、職安通りだった道と東新宿の先に当たる場所で合流します。
そこからは併用軌道で飯田橋方面に向かっていたと思われます。
つまり、この通り沿いは都電廃止後、大江戸線が開通するまでは都バスのみの「地下鉄空白地帯」なのでした。
東新宿などが、新宿らしくないのはそのためだったのでしょうか。
しかし、線路跡の道は旧大久保車庫からはずっと上り勾配で、この合流部分を始めかなりキツイアップダウンが。
不忍通りもそうですが、都電の電車が当たり前に走っていたのが不思議です。
坂道に強かったのでしょうか。
散策はここで終了。
1年前に気になって歩いたら景色が素晴らしかった、階段の坂道「梯子坂」を通って東新宿に。
大江戸線が開通して便利になったせいか、新宿らしくない「都市の狭間」のようだったここも都市化。近代化が進んでいました。
これからもどんどん変わって行くのでしょう。
都電に詳しいサイトはグーグルさんで探せばいっぱい出てきます。
今回も読んでいただきありがとうございます。