国分寺「新次郎池」と謎だった「旧下河原線跡」(後編)
こんばんは、迂回運転中です。
前回は東京経済大学敷地内にある「新次郎池」でしたが、
そのあと野川沿いを10分くらい歩いた「貫井神社」へ。
この神社は崖に張り付くようにある神社で
境内の崖より湧水があり、庭園風の池から落ちた流れが、
入り口ところで滝になってるなかなか
風流と味わいのある神社です。
参拝をしてひとまわりしたら、
駅に戻って、今度は学生時代からの謎だった、
「旧下河原線跡」の国分寺側の探索です。
府中市内は武蔵野線沿いに痕跡があり、
後半部分は遊歩道になっているのですが、
国分寺側の参考記事は極端に少ないのです。
25年前の学生の時に通学に国分寺を通っていましたが、
今とは全然違い特快も停車しない平屋建ての駅でした。
貨物扱いの跡で無駄に広い構内に
使ってない側線が何本もあり、
そこから西国分寺方面にこれまた使われてなさそうな
単線の線路が築堤を登ってたところでなくなってるという。
当時は下河原線の存在など知りませんでしたので、
なんの線路なんだろうと謎でした。
今はその無駄に広かった敷地に
2面4線のホームと駅ビルが建ってますが、
きれいに直してある切り通しの立川方左側に、
「そう思え」くらいの単線分の空きがあります。
西国分寺までの線路に沿った道がないので
なるべく近くの道を歩きました。
駅を出て程なく野川上流の谷に。
そのまま超えられないので回り道で階段を降りて、
橋を渡り、今度は階段を上がると線路沿いに
歩行者用通路がありました。
中央線を観察しながら歩いて行くと、
マンションらしき建物と、何かの施設を
巻くように通ってきた道に合流。
その辺りで、切り通しの中央線のはじに
築堤の跡っぽい登り坂が。
しかし、西国分寺駅近くのマンション街を抜け
西国分寺駅のホームの裏側に続いてました。
正面には府中街道と武蔵野線が。
旧下河原線は武蔵野線とつながってたらしいので、
ここまではきてないはず。
そうするとマンション街の中を通ってた
はずですが、それらしき不自然な棟はないしなあ。
整地されてるっぽいから跡形も
なくなってるみたいな気がするなと、
色々言葉を入れてやっとグーグルさんで
見つけた記事によると、
登ってきた築堤の跡が下河原線の跡の跡で、
やはりマンション街のバス停の辺りを抜けて
この日行かなかった、府中街道の反対側に
不自然な向きに建ってる建物があると。
西国分寺辺りは「そう思え」地帯
だったわけでした。
以前にきた時に書いたけど、
この辺は知らないうちに街になりました。
以前は林の中で西国分寺駅なんか、
武蔵野線への乗り換えのためにできた駅のようでしたから。
それっぽい物件がないなら、
ここでミッションは終わりでいいやと、
西国分寺駅から中央線で家路につきました。
今回も読んでいただきありがとうございます。