下町ノスタルジックと歴史に埋もれゆく路地裏・京成立石
こんばんは。諸事情により月末に3日の空きができたので、半年に渡って計画をしたにもかかわらず中止せざるえなかった夕張支線行きが可能になって喜んだのもつかの間、ニュースのとおり北海道の地震のためにやはり中止を余儀なくされてしまいました。
落ち着くまでは不要不急の旅行は遠慮したほうがいいし、冬の北海道の寒さには耐えられませんので。残念。
代わりの行き先で急遽、計画を作成中です。
8月の初め、葛飾区立石を歩きました。
昭和な駅の周りと、消滅待ったなしの「呑んべ横丁」を見たかったので。
異常な暑さの時期だったこの頃、昼間の散歩なんかしたら倒れかねませんでしたが。
ちょうど日本橋に行く日だったこともあったので。
日本橋から都営浅草線の成田空港方面に乗ればすぐの場所でしたし。
「京成立石」の駅に降り立ってみると、「お〜、昭和の下町だよ」という雰囲気。
アーケード通りが3本も。
メインの立石通り商店街はアーケードが昭和レトロでしたが、並んでる店は今風でした。しかし大小の立石仲見世の方は萌えるほどの昭和な雰囲気。まだこんなところがあるのですね。
南口は後にして、北口に。
まずは取り壊し工事が始まってる「呑んべ横丁」へ。
すでに周りは空き地になっており、その横丁だけが残ってました。
しかし2本ある路地の1本は通れましたが、もう1本の方はすでに封鎖してありました。
当然ながら人の気配のない横丁に入ってみると、その異空間ぶりに感動でした。
いえ、昔似たようなところがありました。
火事で焼けたのち、観光地化する前の新宿・思い出横丁です。
あの感じにそっくりな感じがしました。
「こんな空間があったなんて」感動しながらじっくり観察。
時空の違う空間でした。
横丁を抜けたところは昔の赤線跡とかで、女の子の飲み屋が狭い路地に雑然と。
この猥雑さは感動ものです。
この自転車くらいしか通れないような狭い路地は、駅への近道なのか意外に歩いてる人がいました。
抜け出た飲食店街もなんとも言えない味があります。
この道を抜けると葛飾区役所への道にぶつかりました。区役所が立石にあったなんて初めて知りました。
先は割と整理された住宅街のようなので、商店街を駅に戻って南口の先ほどのアーケードを歩きました。
商店街を抜けるとバス通りに。さらに住宅街の方へ進むと車も通れない狭い道がひしめく住宅街。
昔、私が住んでいたとこにそっくり。火事が起きたら消防車が入れないし、逃げられないぞって。
実は北口は再開発エリアになっていて、横丁がなくなるのは京成線の高架化とセットになってる関係だそうです。
第一の理由は「防災上のため」とありましたが、不測の事態の危険度は南口も同じに見えました。
駅に戻るために仲見世のアーケードの方を。
こちらは本当に「昭和レトロの世界」です。
大小2本の路地がありましたが、駅へ向かう入り口は1本だけと思ったら、小さい方は中で分かれていました。
ここは保存したいくらいの街並みだよなあと思いつつ、立石を後にしました。
次に四ツ木を歩きたかったのですが、あまりにも暑いので涼しくなってからにして京成金町線を乗りに行きました。
京成金町線は京成高砂から金町までの短区間路線。
「寅さん」でお馴染みの柴又を通ります。
実は金町、訪れるのは20年ぶりくらい。
投稿仲間で、「一度みんなと飲みたかった」と集まりに初めてきて笑顔で飲んで記念写真を撮ったすぐ後に、謎の病死をしてしまったのでした。その時のお葬式にきたことが思い出されました。
乗り換えの京成高砂駅で一度改札を出て、専用ホームからの発着。
3両の電車が往復してるようでした。
東南の交通路が弱い葛飾区のせいか、思ったよりお客さんが乗ってました。
住宅が立ち並ぶ中を、ゴトゴトのんびり走って2駅で金町。
かつてきた時の街並みはほとんど憶えてませんが、下町の住宅地のご多聞にもれずマンション化が進行中でした。
江戸川の方まで歩こうかと思いましたが、あまりの暑さにダウン。
再訪することにして帰宅を選びました。
今回も読んでいただきありがとうございます。