基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

1986年夏休み北海道「国鉄」乗り歩きの旅・2「introduction」

1986年7月28日
「レッッドアロー」初乗り。

  • 所沢1857-池袋1922 特急むさし32号

こんばんは。18歳夏休みの北海道旅行。集中連載として原文のまま短い間隔で更新しようと思ってますが、間が空いてしまいました。
今回から、旅の本編に入ります…が、出発の上野駅までになってしまいました。
時間軸は当時のまま、まだ時代は「国鉄」でした。今では考えられない上野駅の混雑、夜行自由席を待つ長い列。

そんなところから始まります。


7月28日は待望の旅立ちの日。準備を万全にしてゆっくり昼間は過ごして、夕方1830ころ自転車で最寄駅へ。長い旅の重い荷物をカゴに載せて。

最寄駅からいつもの電車に乗っても、「北海道へ旅行に行く」としてみると違って見える。所沢で、池袋方面に乗り換え。

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写真はイメージです。古い紙焼きから無理くり起こしたので画像が荒れててすいません。


今回は荷物があるのと旅行だからということで、300円の特急券を奮発してレッドアローに初めて乗ってみる。
こういう時でなくては乗る機会ないこともあるから。

所沢駅のホームにある臨時特急券売り場の行くと、「車内で」というので、すぐにやってきた特急にとにかく乗る。
車掌さんが回ってきたので特急券を買ったけど、次は終点の池袋で空いてr¨こともあって座席の指定はなかった。


席はストッパーつきの缶入りクラニングシートで、国鉄sの特急のようにバタンと戻ったりしなかった。
ガラガラの車内だけど、BGMが流れているので、静まり返った車内より落ち着く

やっぱ300円払って乗る価値ははあるなあと思った。池袋までも特急からだと別の景色に見え新鮮だった。
ぼんやりしてると既に練馬を通過したあたり。少ししたら「終点、池袋です」とアナウンス。

たった25分のレッドアロー初乗りはなかなか内容があってよかった。また何かの機会が乗りたいと思った。


「むさし」を降りて初めて通る特急の改札を出て池袋駅の「国電」のホームに行く。
いよいよ「北海道ワイド周遊券」の出番となる。

山手線で上野へ。今回も新型の205系は当たらなかった。投入されてから何度か乗ってるが未だにめぐ®位あってない。今日も反対側の新宿方面に止まっていた。


上野に近づくにつれて旅の興奮から緊張してくる。上野には予定よ®位早い1940過ぎに着く。
ここに区®¨のは東北新幹線が入ってから」何回めだろうか。

しかし、エスカレーターに乗って大連絡橋の広場は初めてきた。すっかりきれいに赤®¨区なり、店もたくさんできてる。
昔の雑然としたこことは大違いだ。


急行八甲田の自由席の列の場所を取るために13番線に降りる。今回は自由席なので、早めに行って並ばないといけない。
13番線のホームに降りると、7月の終わりだというのに、座れないほどではないが、自由席の車両の場所には既に行列ができている。


なるべく列が少なく、電源車のスハフ14に当たらないところをと7号車の乗車口に並ぶ。着いた時は20人前後くらいだったが、時間が経つにつれ、後ろにどんどん列が伸びて行ってた。

「急行八甲田号、青森行きは13番ホームです。自由席をご利用の方は…」の放送が繰り返されている。
買い物をして戻ると、「13番線に青森行き急行八甲田号入線いたします」の放送が。


また20時前、時刻表のある時間より随分早いなあと思った。どうやらバイク列車の「MOTOトレイン」の関係だった。

 

 

→まだ「レッドアロー」が特別の存在の時代。高校生ですから300円余分に払って所沢まで行くなんてとんでもないことでした。

学校が休みになると、「ワイド周遊券」の特典で急行自由席は急行料金なしで乗車できたので、「八甲田」「津軽」の自由席は北を目指す若者で大混雑でした。

 

まさかこの時は、文章にあるバイクと寝台車で北海道へいける「MOTOトレイン」に自分が乗ることになるとは思いませんでした。

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いよいよ、青森行き急行八甲田に乗り込んでの出発です。
今回も読んでいただきありがとうございます。