1986年夏休み北海道「国鉄」乗り歩きの旅・4「青函連絡船で函館へ」
こんばんは。ノロノロペースですが、18歳の北海道旅行の続きです。
夜行急行八甲田号で青森に着き、青函連絡船へ乗り継ぐ間です。
連絡線を待つ間、接続列車を教えてあげたことと、同じ1人旅同士で話をするようになった男の大学院生のYさんと、社会人の女の人のこれまたYさんと一緒に、25便の摩周丸の桟敷席に。
10:15出港の摩周丸は、函館での接続列車が多いこともあって泉質もデッキも結構な乗客。
今度もできる人と会えたのがよかった。しかも私より年上。
旅の話をしたり、大学はこんなところというのをまさかこんなところで聞くとは思わなかった。
そんな感じで雑談をしながらの船旅。
男の方のYさんのおごりで弁当とジュースを買ってきてくれ2人は食べてましたが、僕は函館のカニ寿司と決めていたので、ありがたく夕飯にいただきました。
それぞれが予定を話した時、僕は今夜も夜行列車泊まりって言ったらおどろかれました。
「すごいねえ、体力あるよ。頑張ってね」と励まされてしまいました。
1時間くらいまったりしたところで、「少し休むわ」横になったので、僕もしばらく横になって居眠り。
函館に近づいたらデッキに出てYさんと外に出て近づいてくる北海道を眺めました。
函館到着30分くらい前になると、すでに出口には列が。Yさんたち2人は接続の札幌行き特急に乗るのではそろそろ出口に並ぶというので僕も一緒に出口ヘ。
今回の連絡船は自由に歩き回れなかったけど、話相手がいたので短いくらいの3時間50分でした。
14:10に函館に着き、桟橋との通路の出口が開くとどっと人並みがホームへ。一緒だったYさんたちは先に行ってしまった。僕は一番最後に出る接続列車の急行ニセコに乗るつもりなので、表示してある乗り場へ。
ちょうど、札幌からの上りニセコが到着したとこだった。
折り返しなので清掃になるので乗車まで時間がありそう。
ホームで写真を撮っていたら、先に特急に乗り込んでたYさんたちがホームに出てた。
自由席の席は確保できたけど、女のYさんとは並びで確保できなかったんでどうしようか迷ったけど、ゆとりのある、後続の急行「ニセコ」「すずらん」だと札幌に着くのが遅くなってしまうのでこのまま特急で行くとのこと。
「元気で、いい旅を」と握手をしてお分かれ。今度こそ本当の一人旅になる。
ニセコの乗車口に戻ると、すでに乗車できるようになっていて列がなくなって僕の荷物がホームに置きぱなし。
慌てて車内に入ったらガラガラなのでよかったけど、煮物を置いて外で写真を撮って戻ったら席にあったはずの荷物が消えてて焦る焦る。
でも、なんてことはなく、よくよく見ると号車を間違えてた。こういう凡ミスは気をつけなければ。
いよいよ、急行ニセコで北海道の乗り歩きが始まります。
●今回は青函連絡船中心でしたが、旅日記テイストになってしまいました。
なので、記憶を頼りに補足を。
連絡船乗船時刻になると、入り口にスタッフが並んで「ご利用ありがとうございます」とお客さん全員に声をかけてました。
何より感動なのは、出発の時、ドラがなることでした。
少しずつ離れていく青森駅を見てると、「本州を出ていく」感が結構感動。
船内の壁には現在位置を示す地図があって、今、どの辺を航行してるのかわかるようになってました。
大部分は陸奥湾内なのですが、津軽海峡に入ると横揺れが強くなって、「海峡を横断してる感」があります。
下北半島が見えなくなると、へだたるものがない海の真ん中。「船旅」って感じがします。
やがて前方に微かに函館山がみえ、それがだんだんはっきり、大きくなってくると北海道が近づいてるというワクワク感がありましたね。
やがて函館の港、連絡船が発着する函館駅の桟橋に近づくと多数の側線が見えます。
同時に本州では見かけない形式の車両が珍しいです。
船は小さなタグボートで桟橋に横付されます。この時には、接続列車の自由席の席を確保しようとする人が出口に行列を作ってました。函館に着いて船から出ると、明らかに本州とは違う空気が北海道にきたなあと実感できます。
3時間50分という時間もちょうどいいと思います。長すぎず短すぎずで。
今は新幹線で青函トンネルをくぐるので「海を渡ってきた」感じはありませんが、発着場所が離れますが、フェリーはありますので、似たような気分を味わいたい方は片道船にするのもオツでしょう。
次回から北海道編。頑張って更新します。
今回も読んでいただきありがとうございます。