懐かしの美幸線・当時の日本一の赤字ローカル線
こんばんは。今、連続で書いてる18の時の道東乗り潰し旅行。
その前の年に稚内に行って時に、たまたま列車の時間が合ったので乗ることができた「旧美幸線」。
写真が残ってたので記事にしてみます。
写真は紙焼きからなので荒いし、記憶を掘り起こしてなので間違ってたりするかもしれません。すいません。
今はなき「天北線」を回って、音威子府から美深まで乗った普通列車は客車列車。
しかも赤の50系客車2両に荷物車。
美深駅の3番のりばが美幸線の列車が止まってました。
もちろん(?)、キハ22単行。
美幸線は第1次特定地方交通線だったので廃止間近。
同線は営業係数ワースト1の常連で、「日本一の赤字ローカル線」と言われました。
それを逆手にとって集客の目玉にしたりしましたが、何しろ沿線住人を全員乗せても山手線10両埋まるかどうかの少なさです。
当然ながら国鉄解体の時、「廃止宣告ローカル線」の「特定地方交通線」第1次路線となり、バス転換が決まってました。
そもそもなんでそんなトンデモ路線が存在したかというと、路線図を見て貰えばわかると思います。
部分開業路線が3線。これらと残ってた名寄本線、湧網線をつないで一つにするという野望があったからです。
オホーツク海沿いの路線が繋がれば、稚内から斜里まで鉄道がつながることになったのですが。
しかし現在、網走ー斜里以外の鉄路はすべて消えてしまいました。
それどころか、路線バスを乗りついで同じルートをたどることさえ不可能になりました。
キハ22単行の美幸線列車は美深を出ると、辺渓(ぺんけ)までは比較的平坦な美深の盆地の田園をトコトコとマイペースで。
辺渓を出ると次は終点「仁宇布」。これからが一変して山岳路線に。
無人の山の中を唸りを上げてキハ22は渓谷がキレイな登り坂を、原チャリのような速度で登って行きました。
その駅間は10キロ超。登り切ったところに終点の「仁宇布駅」。
その先には歌登を経てオホーツク海沿いまで続いている未成線が、続いていました。
もうバラストもあってレールを敷くだけの状態でした。
駅舎や周りの写真を撮りたかったですが、折り返しで戻らない4時間くらい取り残されます。
なので、スタンプや入場券を買って折り返しの列車で戻りました。1日数えるほどの乗降客ですが、有人駅だったです。
多分スタフ閉塞なので、タブレットの受け渡しが必要だったからでしょう。
21の時にバイクツーリングで「仁宇布駅跡」をおとづれた時には駅舎も何もなく、記念碑と、ホームになぜか583系の中間車がありましたっけ。まだトロッコ王国ができるだいぶ前。
駅への道が道道仁宇布停車場線って書いてあった記憶があります。
今回も読んでいただきありがとうございます。