基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

1986年夏休み北海道「国鉄」乗り歩きの旅・1「急行八甲田号・前編」

 

初めての長旅・その序章


ついに準備ができたので「1986年夏、北海道ローカル線乗り潰しの旅」
夏休み三週間を使って乗れるだけ乗ろうという計画です。

日にちによっては一本乗り継ぎに失敗するとその日全部の予定が
崩壊するという、タイトロープな日もありました。


この度、青函トンネルがまだ開通してないので、連絡船で津軽海峡を渡るというのは
最後になった旅です。

今はなき20日有効の北海道ワイド周遊券を握り締め、
上野駅13番線から「急行八甲田」の自由席に乗るために

2時間前に列の一番後ろにつきました。
バイク列車の「MOTOトレイン」が併結されているため

積み込みのため列車はすでにホームに入っています。
本日の編成。

MOYOトレインとEF65


7月28日急行八甲田&MOTOトレイン

青森方面
増9号車オハネ14 3段寝台△
 9号車スハフ14
  8号車オハ14
 7号車オハフ15−46(乗車車両)
 6号車スハフ14
 5号車オハ14
 4号車オハ14
 3号車オハ14
 2号車オハ14 指定
 1号車スハフ14 指定
    マニ50△
    マニ50△
    マニ50
上野方面
△はMOTOトレイン


時間もあるのでMOTOトレインを見に行きました。マニ50にお化粧をしてMOTOトレインと
書いてある車両の中を覗いて未tると、中ではバイクの積み込み中だった。

荷物車のマニ50の方はまだ何も積み込んでなかったが、これにもバイクを止める金具が付いていた。
少しホームをぶらぶらして車内へ戻りました。発車は21:14。まだ時間がありました、

14系座席車の車内は全部埋まり、席のない人が探し回っるので混んでいるという感じだった。
席で音楽を聴いてると、空いてた隣にお客が座りました。年が近いのでどちらとともなく話しかけ、

彼は高2でこっち(東京)へバイクの合宿免許を取りにきて、青森へ帰るとことか。
東京へも八甲田だったけど、まだ学校が休み前なのかガラガラだったと。

しばらく雑談。ヘルメットを持っているので、他のでMOTOトレインのお客と間違えられたりしたとか。
僕が北海道旅行へ行くと言ったら「イイですねえ」と盛んに言っていました

21:14、一人でいた時は長かったけど、彼と雑談を始めてから意外と発車時間までは早かったです。
ほぼ満員で上野を定刻に発車。いよいよ北海道の旅が始まりました。

オグを通過する頃車内放送「本日は青森ゆき急行八甲田号をご利用いただきありがとうございます.....と放送が。
出発のこの放送はワクワクします。

 

14系客車急行八甲田の一夜

隣の人と話をしたり音楽を聴いてると、大宮、小山と過ぎていきました。
もちろん外は真っ暗。簡易リクライニングシートの半端な角度に、

だんだん腰が痛くなってきました。隣がいるので、
この座席で11時間ははっきり言ってきついなあという感じ。

それに満員のせいか冷房の大サービス。私、エアコンの冷たい風が苦手なんで。
しかしのちに、これよりも寒い思いをすることになるとは思いもしませんでした。

ゾクゾクしてきたらデッキに出て、車内に入ってしばらくはイイですが、
だんだん肌寒さを感じるようになってきます。

宇都宮22:52到着。8分止まる。腰が痛いんで外に出てストレッチや散歩をする。
売店などはやっぱり閉まっていて自販機だけでした。


歩くついでにMOTOトレインの寝台車を見に行ってみました。
先頭車なのにスハネフではなくオハネでした。中はバイクウェアを着た人でいっぱい。

外にジュースを買いに出てる人も結構いました。
「私も免許を取ってこの車両に乗るんだ。と思いました」

車内に戻るとやっぱり寒いんではないかと思うくらい冷え過ぎている。
発車して少ししたら持ってきた薄いジャンパーを着ました。周りもそうしてます、

少しなんとかならないものか、この冷え過ぎは。


黒磯で機関車交換のため9分停車。作業を見に行きたかったけど、隣の人が寝入ってるし、
通路まで混んでいるので断念。窓から反対側のホームにED75牽引の貨物列車が止まっていた。

この当時は直流を交流に変換していました。ED75が解放されてEF65が繋がる時、こちらは発車してしまいました。

そろそろ0時過ぎなので寝ようと身体を横にするけど、先に書いたこの「簡易リクライニングシート」は
ストッパーがついてないタイプなので、体の向きを変えるとバタンと倒したのが戻ってしまう困ったやつです。

寝入ると力が抜けてシートがバタンと戻って目を覚まされてしまいます。
まあ、4人がけのボックスシートに4人座ってまったく動けなくなるよりマシだけど。

 

停車した駅名を見たら白河。に:20に到着。日付は変わって7月29日になっていました。
今夜も車中泊なので2徹はしたくありません。昼間眠くなって景色を見れないし。

なんとか眠ろうと目を瞑ってうとうとするけど。停車駅ごとに目が覚めてしまいました。
福島11分停車。反対側のホームに20系客車の急行「おが号」が。

臨時のせいか悲しいくらいにガラガラ。「おが号」は秋田に行ったときに乗りましたが、ガラガラじゃなかったんだけど。
向かいのホームには、追いつくように奥羽本線経由の青森行き寝台特急「あけぼの3号」が機関車交換のために運転停車

寝台は結構埋まってる感じ。やっぱり20系の狭い三段新台より、あけぼのの二段新台の方がえらばれるでしょう。
福島駅は、以前は夜中でも急行はドアが開いていたので、昼間と同じように弁当や飲み物を売っていたけど、やめてしまったようです。

明け方に近い宮城県に入る頃に寝入ったようで、気がついたら空が明るくなっていたけど、
岩手県との県境の山越えのあたりはすごいキリで真っ白。

空が白んできた一の席にはまだ4時30分。駅を始め道には人がまだ出てなかった。
でも夜行列車の夜明けのこの車窓が好きです。特に東北の場合劇的に車窓が変わるので。

遠くに来た感じがします。
九州ブルートレインも瀬戸内海の風景は素晴らしいけど、家並みや工業地帯が切れないので。

夜型のせいかここにきてうとうとの連続。目覚めれば
盛岡5時46分。すっかり朝。日差しが強くなってきてて今日も暑くなりそう。

東北に行く夜行列車なので、駅ごとに降りる人がいるとおもってたら、
盛岡から先の停車駅で乗ってくる人が意外にいるのでした、

盛岡が6時前で青森に9時過ぎに着くので、盛岡から先はつかり号が走り出す前の
時間の「早い列車」の顔もあったのでした。


中途半端になりましたが、長くなったので第1回は盛岡まで。次の2回目は青森までと青函連絡船のことを書こうと思います。
旅はまだイントロ・2日目の朝が始まりました。

 

 

つづく