基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

近所から遠方までの旅の記録

釧路湿原を車窓に見、廃止対象の標津線に乗る

雄大釧路湿原を車窓に

7月30日の朝、急行まりもで6:10に釧路に着いて釧網本線の一番列車で今日は始まりました。接続時間が6分しかないので急いで跨線橋を渡って隣のホームへ。
そこには3両編成のディーゼルが。この列車、網走行きと、これから乗車する標津線直通の2階建。前2両が網走行きで後ろの1両が標津線根室市別行きでした。

単行の標津線根室標津行きの方が混んでおり、車内のボックスシートは1〜2人ですべて埋まってました。
そんな中、空いてるボックスを見つけ、席を確保。

発車までの間にキオスクで朝食を購入。
菓子パンやおにぎりはすでにないので、カステラと缶こーひーで朝食。この先、Y.H.泊まり以外はこの組み合わせの朝食ばかりになってしまった。

定刻に発車。側線に何台もの廃車機関車が打ち捨ててあい、広い構内を持つ東根室から根室本線と別れ、釧網本線に入っていきました。
東釧路出て釧路市の郊外の住宅地が終わると左側に広大な釧路湿原が広がっていました。

写真でしか見たことのないその風景は、リアルで見るのとは全然違いました。
釧網本線は高度を上げ地形に沿って敷かれているので、左右にカーブしながら進んでいきっました。

この日からの写真が行方不明なので写真は、後の年に再訪したときのものであるものを貼っていきます。

車窓のハイライトは茅沼ー套路間の湿原を横切るところ。釧網本線の写真によく使われてる風景そのままでした。

釧路湿原の湖、塘路湖

 

なお、茅沼駅にタンチョウツルがくるのは冬季で、夏の間は湿原の奥の方で暮らしているとのこと。

套路では行き違いのためしばらく停車。この辺では比較的大きな駅だけど、寂しいところという印象。
釧路行きと交換のあと、今はなき五十石あたりが釧路湿原の最奥で目の前に緑の平原と川に沿った道。

7:25標茶着。前2両の網走行き分岐。35分もの大休止。
形式上直通だが、車両が直通してるような形に感じます。

ゆっくりスタンプを押したり、入場券を買ったりして時間を潰しました。
駅前に出てみましたが、まだ7時台のため人通りもなく街はまだ動き出してない雰囲気でした。


・原生林と牧場の沿線〜標津線

8:00になりやっと根室標津を目指して発車。いきなり標茶から次の駅まで12.7km・19分もかかるとは。この区間山越えがありそのためだった。
ネットがない時代なので、頼りになるのは手元にある時刻表と部分的な地図しかないので、地形などはわからないのです。

キハ40のエンジンが唸りを上げてる全開でも、列車は原チャリ並みのスピードなのです。
見える景色はどこまでも深い森の原生林。無人地帯のなかを単行の列車がゆっくり進んで行きました。

峠を越えるとニュートラルで下るので、ブレーキを軋ませながらくだり、駅の周りに家が数軒の泉川に。
標津線というか、ローカル線はこのようなところばかりだと思う。

「利用が少ない」のではなく「そもそも利用する人が住んでない」

手付かずのローカル線は車窓が素晴らしいけど、標津線は原生林と牧場、川の周りに広がる湿原というパターンでやや単調。
線路が地形に沿って敷かれているところが興味深いけれど。

原野の中に急に開けた街にはいりました。
空港のある中標津です。地元の人の大半がここで降りてしまいました。

1分停車の中標津からは、今日、あとで乗る厚床への支線がぶんきしてました。こちらは1日4本しかありません。
もっとも、こちらも6本くらいしかありませんが。

中標津から29分で終点の根室標津。広い構内のはじにSL時代のターンテーブルが残ってました。

標津線廃止後の根室標津駅跡。駅舎はバスターミナルに。左の画面外にターンテーブルが残ってました。


ここで時間調整も兼ねて、立ち枯れたマツがこの世の終わりのようというので気になっていた「トドワラ」見物のオプション。
今回の旅はほとんど乗りつぶしなので、観光が少なかったのです。詳しく書くと長くなるので、借り物の写真を貼っておきます。

写真は借り物。地の果て感が味わえる「トドワラ」。鉄道がなくなって行きづらくなりました。


この日の後半は思ったより長いので、今回は前半のみで次回に続きます。
次回は厚床支線から根室、最東端の納沙布岬を目指します。