基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

近所から遠方までの旅の記録

最東端のノサップ岬に立つ

例によって写真がないので文章ものになります。

現代ではありえないおおらかな時代

地の果ての、この世の終わりのような荒涼とした「トドワラ」観光をして、
再び根室標津駅にバスで戻り、荷物を持って途中の中標津まで戻りました。

この中標津でこちらも廃止された「標津線厚床支線」に乗り換え。
キハ40単行列車は通路まで満員。それもそのはずで、標茶

根室標津両方からの接続が良好の唯一の列車だからでした。
おまけに厚床支線も1日4本しか列車がありません。

街らしい街は中標津厚床だけとはいえ、
あんまりなダイヤです。

こちらの路線も原生林と牧場の丘陵地の中。
駅があっても人家がないという、利用が少ないというより

利用する人が住んでない路線。こういう開拓を目的にした
路線は過疎化により廃村も沿線に目立つようになっていってた

のです。
人が住んでないところを通ってる路線なので、時刻表では

駅が少ないですが、駅間が9〜10分くらい。
距離はそれなりにありました。


この日はピーカンの上、車内は満員。道東は涼しいなんてこともない
真夏日でした。北海道の車両なんで冷房はなく扇風機が

ガンガン回っていましたが、温かい風をかきまわしてるだけでした。


ふと、周りを見るとお客さんみんな前の方を見てるので
なんだろうと前の方を見てみたら、とても車内が暑いからと

貫通扉を開けて走っていたのでした。
とはいえデッキ付きの北国仕様なので、客室との間の扉を開けても

風が抜けていかないので、涼しくならないと思ったのか、
後ろで車掌さんが後ろの扉まで開けました。

さすがに前後がの扉を開けたので風が通り抜けて、少し涼しくなりましたが、
その風が強いので、危ないと思ったのか車掌さんが扉を半開きにして

押さえていました。
今なら冷房車だし、そうじゃなくても走行中に貫通扉を開けるのは

危険防止でやらないと思いますので、おおらかな時代
だったんだなあと思います。


・日本離れした車窓に目は釘付け

そんなこともありながらも定刻に厚床に到着。
この時代の厚床は有人駅のジャンクションだったのでそこそこの

規模の街でしたが、聞くところによると標津線が廃止され
街は過疎化が進んで当時に比べ得れば規模が段違いに

ちいさくなったとか。


ここから根室行きの「急行ノサップ3号」で終点の根室へ向かうのですが、
そののサップが20分遅れと。

今日は根室からバス最東端の納沙布岬へ行ってY.H.に
泊まる予定だっただったので少し心配。

到着して乗降が終わるとすぐに発車。
回復運転で制限速度いっぱいじゃないかと思わせるくらい飛ばす飛ばす。

特に激しく混んでないのになんでおくれたかわからないけど、
「ここは本当に日本か」と思う景色の中を、エンジンが

うなりをあげて原野の中の無人駅をパスし、ポイントは左右に減速せずに
突っ込む勢いで気持ちのいい走り。

それでも車窓は列車が高速で走っているとは思えない広く雄大
車窓なのです。厚岸湖の湿原真ん中を走り、今はなき花咲駅の

前後の遠目に見える高い崖なんて日本国内にない景色です。
根室本線の釧路ー根室間の車窓はわざわざ見に行く価値が充分あります。

スピードが落ちてきて、大きな街が見えてくると根室
近いです。市内の外側を回り込んで、明日訪れる予定の

日本最東端の駅「東根室」を通過すると2分で終点根室に到着。
この先にはレールがない終着駅です。


・ついに最東端に立つ

列車がおくれてたし、あしたもえきにくるのでい急いでバス乗り場に行くと
納沙布岬行きのバスはまっていてくれてました。

バスはけっこう客酸が乗ってましたが、根室の街中で
地元の人はほとんどおりてしまい、途中の集落に住む人と

観光客だけに。
大体45分くらいで、終点の納沙布岬に到着。

ついに最東端到達のタイトルを奪取しました。
バスを降りると冷たく強い風が体に当たりました。

まずは岬の表示のあるところに行って記念撮影。

すぐに展望台で国後島の方を見に行きましたが、どうも向こうは

気候が違うらしくこちらは晴れてましたが、向こうは曇ってて
島を見ることはできませんでした。

それに不幸なことに列車が遅れたおかげで滞在時間が短く
なってしまい、せっかくきたのに灯台の方までは行けなかったのが

心残りでした。さらっと見て帰りのバスで

根室駅へもどりました。


今夜は今はなき根室玉屋Y.H.とまり。
今でいう「ユース」向け男女別ドミトリーです。

長い2日間が終わりました。


つづく