穴場的魅力が多い、実は宿場町だった「吾野」
こんにちは。台風が近づいてますが動きがノロノロなせいで天候不順がどんどんずれ込んで参ってます。
今夜あたりから荒れるらしいですが。明日の出勤が心配です。
少し間が開いてしまいましたが、前回のプチ旅行の続きです。
「西吾野」で秘境駅テイストを味わって、1駅戻った「吾野駅」に降り立ちました。
よく飯能から先が秩父線と書かれてますが、列車系統は特急以外飯能で分かれているのでそう思われるのでしょうけど、正しくはここ、吾野が池袋線の終点、秩父線の起点です。
これは建設歴史上の関係なのはご存知のとおりです。
ここに寄りたかったのは、石灰石の積み出し施設の跡と土砂崩れの現場がどうなっているのか見たかったのでした。
広い敷地と、奥にあるホッパーが完全な形で残っているのは素晴らしいです。
この大規模な施設がかつての石灰石輸送全盛期を思い出させます。
今もすぐそばに石灰石やセメント工場がありダンプカーが時折出入りしてます。
ここの石灰の積み出しのために飯能〜吾野間が延長されたのでした。
そのために町らしい町ができていたのだろうと思っていました。
そのように「吾野」といえば、石灰石鉱山と顔振峠へのハイキングの拠点ってイメージでした。
ところが、最近見たあるブログで吾野は秩父街道の宿場町だったとあったので、調べてみると飯能の観光案内にも紹介してありました。そんなことはまったく知らなかったので驚きです。
なぜかというと、ここを通るR299は高麗川を挟んだ街の外側のバイパスがメインになりましたが、それがなかった時は街中を通る道だけでした。
その頃から秩父方面へツーリングで何度となく通過してましたが、今、街中に建ってるような表示一つありませんでした。
「へえ〜」です。
その理由は調べるとわかりました。
今のR299に沿ったルートが秩父と江戸を最短距離で結ぶ街道で、道自体は平安時代〜鎌倉時代に開かれ、江戸時代になると秩父や飯能との行き来に機能してたとか。その街道には所沢、飯能、吾野に宿場があったとのこと。
で、この街並みが平成23年に埼玉県景観モデル地区に指定されたようです。
おそらく案内表示などはその頃から建てられたのでしょう。
その頃にはバイクに乗っておらず、ここを通ることがなくなったので知らなかったのは当然です。
西武鉄道の方も川越と秩父の売り出しで、ここには手をつけてないようで。
駅を出て線路沿いに歩くと大きなお寺がありましたが、目的はホッパーを見ることだったのでさらに線路沿いを歩くと踏切があり「吾野湧水」とあったので、施設を見てから見に行くとなだからな山肌に墓地がありそのそばに湧水がありました。
墓地になってるなだらかな傾斜のところは、かつて土砂崩れがあった場所でしょうか。
湧水は「飲用不可」ではありませんでしたが、「飲んでもいいけど自己責任」のようなことが書いてありました。
戻ってR299に出ると懐かしい景色です。よく走りましたから。
「吾野宿」の表示があったので家並みのある街の中心へ。
宿場町と言われればそうかなあという感じの家並みを眺めつつ歩きました。
古い家屋や廃墟が興味深いです。路地に入ると廃集落同然のエリアも。
並行して流れる高麗川はここもキレイで、自然たっぷり。
そんなに長い距離ではないので、街並みや路地を覗きながら歩いていくとバイパスとの分岐点に出ました。
いつの間にか飯能方面は国道にトンネルができてました。
旧道へ行くと完全改良された国道の中で唯一以前の狭いままになってる、西武線のガードが。
この先にも集落がありますが、こちらは比較的新しく開かれたようでした。
ここから顔振峠に向かう県道とは思えない狭い道は、途中で消滅して登山道で峠を越える「剣道」です。
こうして歩いてみるとハイキングや川遊びだけでなく、歴史好きから道路・鉄道、廃墟マニアとレンジの広い、その人なりに楽しめる場所でした。
都内から1時間半、ちょっとした穴場的な場所かもしれません。
しかも西武線の電車はこんな山間部にもかかわらず、23時台まであるという「夜汽車」の味も味わえるサプライズなところです。
ふたたび駅まで戻り東飯能で八高線に乗り換えると帰宅の高校生がたくさん。拝島からまっすぐ帰れるので意外と帰りやすかったです。
今回も読んでいただきありがとうございます。