基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

急行八甲田(後編)盛岡―青森と最後の青函連絡船

北海道ローカル線乗り歩き、まだ序章です。

 

盛岡では15分の停車。盛岡では結構降りて余裕が出るでしょうという予想を裏切って、降りた人より多くの人が乗り込んできました。

 

青森に9:07に着くので特急はつかり号よりも早い時間に青森に着くことができるのでした。いわば早朝に盛岡を出る、青森へ行く速い列車の役目を持っていたのでした。

これが意外でした。

 

しかし、こういうことは自由席を連結した夜行急行では珍しくないことを最近(2024年)知りました。上野に5時台にに着く北陸や東北からの上り夜行急行にも同じ需要があったのでした。北関東の人にとっては東京から出る始発の「のぞみ」(当時はひかり)や羽田から出る始発の航空機に乗り継げる便利な存在だったのでした。

 

夜行がなくなった影響ででそれらを利用しようとすると、前日に都内のホテル泊を余儀なくされてしまったのでした。都内のホテル泊まりとなると料金も都内価格なので金銭的負担が大きいようです。

 

脱線しましたが、この「早朝需要」を狙って前橋を未明に出るバスが設定されたニュースで、夜行急行には、そういうお客さんもいるんだと初めて知りました。

 

少数とはいえ、固定客に近い需要なのに効率という名の下に切り捨てるのは今も通じていると思います。

 

盛岡を出ると日差しが強くなり、その先に岩手山。今日はいい旅ができそうだなという感じ。沼宮内を過ぎると北上川上流の山間部を走りました。岩手県内は一戸、二戸と街がありますが、基本的に山間部を走ります。

明るくなったとはいえ時間は早朝、洗顔やトイレに立つ人以外いないので前夜の続きという感じ。私も隣の彼もうとうと。

 

野辺地ではおきたのですが、南部縦貫のレールバスはいなかったです。

夏泊半島をトンネルで超えて、陸奥湾がみえると青森まできたなあと。

 

青森から家に帰る隣の彼は目を覚まして下車準備を初めていました。

浅虫を過ぎると青森はもうすぐ。車掌さんが北海道方面へ行くお客さんに、青函連絡船の乗船名簿を配ってまわってきたので、1枚もらって記入。北海道に渡る儀式のような気分です。

同時に、やっと終点かあ、長かったなあと。疲れたのは中途半端なシートのせいもだいぶあるんじゃないかと。

 

新青森の貨物駅(今は廃止)を通過するとそれまで快走していた列車がスピードダウンして津軽線に直通する貨物線と別れて市街地を走りました。

 

行き止まりの青森駅に大きくカーブして定時到着。

上野から12時間は長かったです。下車したお客さんの大半が、前方の青函連絡船乗り場の方へ歩いていきました。

 

合宿免許帰りの彼と声を掛け合って別れ、前方の青函連絡船のりばへ向かいました。

 

列車は連絡船に乗せるMOTOTOトレインを切り離して転線させていました。

 

 

青函連絡船津軽海峡を渡り北海道上陸

 

八甲田の車中では、同年代の友達って感じの青森の彼が一緒だったので、友達と旅行してる感じでしたが、青森駅は連絡船は前方に、出口は後方なので列車を降りたらそこでお互い向かう方向が違います。

 

ひとりになってホームを歩いて2階の連絡船乗り場兼待合室にむかうと一人旅モードになっていきました。

 

乗船する青函連絡船は上野からの寝台特急ゆうづるを受けるので、待合室で1時間半待ち。

船は「摩周丸」とのこと。

 

待合室は、駅の待合室を大きくしたような感じ。病院のフロアのように長椅子がたくさん並んでいますが、それよりもお客さんがいっぱい。賑やかです。

 

 

一人になったので、行程の確認をしたり本を読んだりしていました。

そんな時、たまたま近くの一人旅の人に函館からの接続列車を訊かれたので教えてあげました。

それをきっかけに、同じ一人旅のお兄さんとお姉さんと雑談や旅の話をしてすごしたので、待ち時間が退屈しませんでした。

 

 

10:15出港の摩周丸は、函館での接続列車が多いこともあって船室もデッキも結構な乗客。

 

青森からひとりだなと思っていたので、また束の間の旅友達ができてよかったです。一人旅のお兄さんとお姉さんは当然ながら年上の大学生と院生。

 

旅の話をしたり、大学はこんなところという知らない世界の話を聞けてよかったです。これが一人旅の楽しみでもありますし、バイトと同じで社会を学ぶ機会になりました。

 

乗船時刻になると、入り口にスタッフが並んで「ご利用ありがとうございます」とお客さん全員に声をかけてました。

何より感動なのは、出発の時、ドラが鳴ることでした。

 

少しずつ遠くなる青森駅。この「本州が離れていく」感が結構感動。

船内の壁には現在位置を示す地図があって、今、どの辺を航行してるのかわかるようになってました。

 

大部分の陸奥湾内は、海が凪いでればほとんど揺れませんが、津軽海峡に入ると横揺れが強くなって、「海が流れてる海峡を横断してる感」があります。

 

そんな感じを体感し雑談をしながらの船旅。

男の人のおごりで弁当とジュースを買ってきてくれ、まるでグループ旅行。

 

それぞれが予定を話した時、僕は今夜も夜行列車泊まりって言ったらおどろかれました。

「すごいねえ、体力あるよ。頑張ってね」と励まされてしまいました。

 

 

1時間くらいまったりしたところで、「少し休むわ」横になったので、私もしばらく横になって居眠り。

函館に近づいたら2人と一緒にデッキに出て近づいてくる北海道を眺めました。

 

これがいいんです。遠くに小さく見えた函館山がだんだん大きくなっていくところが、なかなかドラマティックだし、北海道にきたぞって気分になります。

 

この夏には青函トンネルの開業が発表されてたので、青函連絡船も最後の乗船でした。

このドラマティックな景色も最後かあと感慨に。

 

 

実際は海を渡れないマイカーなどのために函館から離れますが、「青函フェリー」が渡ってますが。青函トンネルが新幹線になってから、これが重宝するようになったのは皮肉。

トンネルになったら「北海道に海を渡ってきた」感動がなくなるなあ。そう思ってましたが、夏だと・上野19:00の北斗星に乗ると、青森側は真っ暗ですが、通過時間50分超えと長い

ので、トンネルを抜けると空が明るくなりかかってるという、別の感動を作ってくれてました。

 

函館到着30分くらい前になると、すでに出口には列が。お兄さんとお姉さんはすぐ接続の札幌行き特急「北斗」の自由席に乗るので、そろそろ出口に並ぶというので僕も一緒に出口ヘ。

 

今回の連絡船は自由に歩き回れなかったけど、話し相手がいたので短いくらいの3時間50分でした。

 

 

14:10に函館に着き、桟橋との通路の出口が開くとどっと人並みがホームへ。一緒だった二人は先に行って見えなくなってしまいました。僕はあ函館を一番最後に出る接続列車の、急行ニセコに乗るつもりなので、のんびりと表示してある乗り場へ。

 

ちょうど、札幌からの下りニセコが到着したとこでした。

折り返しなので清掃のためドアが閉まりました。連結してある荷物車は連絡船に乗って本州に行くので切り離して転線。

 

入れ替わりに航送で北海道に運ばれてきた荷物車と郵便車を連結と作業が多いので乗車まで時間がかかりそうです。

ホームで写真を撮っていたら、先に特急に乗ったおにいさんたちがホームに出てました。

自由席の席は確保できたけど、並びで確保できなかったんでどうしようか迷ったけど、ゆとりのある、後続の急行「ニセコ」「すずらん」だと札幌に着くのが遅くなってしまうのでこのまま特急で行くとのこと。

 

「元気で、いい旅を」と握手をしてお分かれ。今度こそ本当の一人旅になります

 

 

つづく