基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

西武池袋線東久留米・幻の4番線

こんばんは。だだいま、新宿線の謎の突撃ものも整理してますので近いうちに。あと、水辺ものは鉄道より町歩き要素の方が高いのでどうUPしようか考え中です。

今回は割と有名な物件です。

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西武池袋線東久留米駅が大好きな漫画「めぞん一刻」に出てくる、時計坂駅のモデルになってたというのは有名な話です。
その時の同駅は木造平屋建て。今の南口はありませんでした。

ホームは島式2面2線ですが停留所タイプで、改札を入るとすぐ1番線ホームでした。
1番線を埋めて駅舎につなげであったのですが、謎だったのは4番線に当たる部分が空き地であることでした。

今は柵がしてあって使われてたりしますが、その時はそこに線路を敷くようになってるのかと思う感じでした。

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以前は柵もない島式ホームでした。

その謎が解けたのは西武線本が出て、東久留米から専用線が分かれていたことを知ったからです。
元々は中島航空金属への専用線で、戦後、ひばりが丘団地を建設するための資材運搬線に使われていたそうです。


その廃線跡東久留米市の旧跡「たての緑地」として残されているというので、歩いてみました。

専用線の存在を知ったあとに、落合川の水源をハイクしに行った時に旧河川の護岸にコンクリートが違う、橋台の部分があったので、その先はどうなってるか気になっていたので。

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橋台の部分だけ護岸の色が違います。

とりあえず、有名な場所だけあって先人の人のレポートを読んだんですが、古いのばかりでしかも年代がバラバラで「緑道」が切れてひばりが丘団地に入るところから、同団地の改築工事によってそのまま辿れなくなって経路を予測してありました。

しかし、工事の関係で時期によって変わっているので廃線跡の位置が人によってバラバラなので困りました。また、軍事路線であったためにこの辺りの航空写真を呼び出しても出てきませんでした。


東久留米駅南口を出て線路沿いに歩くと、今も使われてないところは空き地になっています。

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おそらく分岐点であっただろう、踏切の先は住宅になっておりその先に西武の変電所があって、築堤のような西武の所有地になって落合川に突き当たります。

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変電所から先は西武鉄道の用地になってます。

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築堤のような土盛りが。

合川は流路改修をされているので駅側は橋台の跡はありませんが、川を越えた先は旧流路に流れがあるので、色の変わった部分でわかると思います。

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横図。奥から流れてくるのが旧落合川

一度西武線をくぐって橋のあるところから対岸に渡り、反対側に行ってみると荒地のような空き地になってます。

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変電所から上には送電線が続いており、これは廃線跡の「たての緑地」の終点まで上を通っています。

緑道は先ほど渡ってきた道との交差点が起点。説明板があり、整備された遊歩道になっています。

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たての緑地起点。

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ところどころ切り通しになったり、築堤になったりと線路跡ということがわかります。

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鉄道があった雰囲気が残ってます。

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ところどころにベンチもあるので、「らしい」気分でのんびり歩くことができます。

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桜の時期だったのでいい感じでした。

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敷地境界の杭も残ってます。

道なりに歩いて行くと、送電線が地下に潜り突き当たりに西武ハイヤーの事業所があるところで終点。この先ははっきりした痕跡がないので、だいたいのレポートはここで終わっていました。線路跡地は事業所内を通ってるらしいので、そばの小道を歩くと立派なひばりが丘団地の側道になります。

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上を通ってた送電線が地下ケーブルになると終点。

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廃線跡は西武ハイヤーの事業所の中を通っていたらしいです。

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地図見ても区画そのものが変わっているので、とりあえず団地の側道を進みます。

この辺からはまったくわからなくなります。
資料にした以前訪問した方の頃は、ひばりが丘団地の改築工事中のが大方でした。

また、中村航空金属跡地にできた工場もなくなり、どうも全体を更地にして住宅地に再開発したようで目印にするものがまったくないという状態になってました。


ただ、終点付近の目安にした団地交番とひばりが丘総合運動場のテニスコートはあったので、おそらくそのあたりではなかろうかと、勝手に予想して一段落にしちゃいました。

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予想ではこのあたりを横切って終点のようですが、正確な位置はわからず。

ここから田無までは痕跡はまったくないということなので、所沢街道はバイクでよく通った経験上、歩くと結構な距離になるので田無駅まで「バス代行」。


田無の新宿線の高架に残る、「保谷架道橋」というアンダーパスを見に行きました。

線路に沿って西武柳沢方面へ歩き、青梅街道を渡って左に入る路地でした。
確かに線路に対して角度を持って交差してましたが、ガード自体が斜めではなかったです。

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一見すると路地のガードのようで、似たようなのが近くにあるので見間違いやすいです。

車1台分の路地の端には敷地の境界を示す杭が残ってました。
この軽便専用線は武蔵境まで続いていたそうです。

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目印は埋まってる杭。

廃線跡の謎はそこまででしたが、田無を出たところの高架が築堤の上に橋脚があるという不自然な構造に新たな疑問が湧きました。

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今回も読んでくれてありがとうございます。