西武球場前になれなかった旧武蔵野競技場前
こんばんは。ヤクルトスワローズのツバメはかつての
前身にあたる国鉄スワローズのツバメが引き継がれてる
ことを知ってる人も少なくなりましたが、
国鉄のフランチャイズはどこだったんだと
調べてみたら神宮ではなく三鷹だったとは驚きです。
その三鷹から出てる廃線跡の緑道は武蔵野競技場前線という
球場アクセス路線だったというので2度驚きでした。
狭山を通らない西武狭山線よりはるか前に
西武球場前のような路線と駅があったとは。
しかし、その「東京スタジアムグリーンパーク球場」は
グラウンドの質の悪さやアクセスの不便さなどの理由で
66試合、1年で閉鎖となり、チームは後楽園、
神宮と渡り歩いたらしいです。
「幻の球場と会いに行ける廃線跡」なので散歩がてら訪ねてみました。
最初に行った時に球場跡までたどり着けなかったんで、
2度に分けて訪問しました。
なので、写真は2回分が混じっています。
ほぼ全線よく整備された遊歩道と公園になって
鉄道時代の遺構がほとんどありませんが、
土地境界杭だけは残ってました。
三鷹駅の北口を出て高架になる中央線に沿った道を
歩いて行くと公園の入り口があります。
その公園が廃線跡で広くなってるのは
車両基地か何かで使われてたようです。
大部分が「グリーンパーク遊歩道」で
カーブのR以外は鉄道だったとはわからないでしょう。
沿線の家の玄関が歩道の方を向いている様子が、
廃線になってからの時の長さを感じます。
並木の続く、綺麗に整備された遊歩道なので
散歩にはちょうどいいでしょう。
すっかり地元の人の生活道路となってます。
ほぼ唯一の痕跡とも言える、玉川上水にかかる
「ぎんなん橋」レールが埋め込まれてます。
この橋の橋台も痕跡の一つです。
緑道は隣接する都道の歩道に取り込まれてる区間もあります。
都道と別れて道なりに歩いて行くと、
「関前公園」に出ます。
トンボ池やじゃぶじゃぶ池のある
立派な公園です。
そこを通り抜けて湿地のある「グリーンパーク緑地」に
この路線の前身にあたる「中島飛行機 武蔵製作所工場」
への引込み線跡と武蔵野競技場線との線路付け替え跡の
分岐があります。
実はこの旧武蔵野競技場線は元々「中島飛行機 武蔵製作所工場」
への引込み線だったのです。
この工場は名前のとおり航空機のエンジンを作っていました。
戦中は当然ながら空襲のターゲットにされ、終戦までに9回もの
空襲を受け工場だけでも200名以上、付近住民も
多数犠牲になった戦争遺構ともいえるものです。
この工場は今の武蔵野中央公園や武蔵野市役所の方までの
広大な土地を持つ大工場でした。
戦後、解体されて旧東工場部分に球場が作られ
アクセス鉄道として現在、福祉施設があるあたりの方へ
付け替えられたのでした。
工場に入る旧線跡は広くてキレイな武蔵野中央公園の
駐車場に向かう道のようです。
遊歩道は右にゆるくカーブして公園の正面で入り口に
出ます。そのまま端を通り福祉施設のあるあたりに
「武蔵野競技場前駅」があったようです。
一方、球場の方はそのすぐ先、
現在、URの「武蔵野緑町パークタウン」が
球場跡のようです。
その外周道路だけ円を描いているので
言われればそう思えます。
この土地が元「東京スタジアム、グリーンパーク球場跡」
であることを書いた説明板が敷地の中にあり、
そこがグラウンドの跡ということも書いてあります。
全線、歩きやすい遊歩道で気持ちよく歩けるので
気軽な歩鉄にちょうどいいです。
帰りは市役所の方の道にバスが多数走っているし、
歩こうと思えば西武新宿線の武蔵関に出られます。
しかし1年間、行われた試合は66試合で閉鎖では
もったいなさすぎでしょう。
時が違えば西武球場のようになれたかもしれません。
そんなことを考えさせられました。
今回も読んでいただきありがとうございます。