こんにちは。連休ですが極寒と天候不安定で素材探しに行けるかどうかって感じです。
今回はコールドゲームになった東神奈川訪問の後編。再試合として次の休みに残ってしまったとこを歩こうと出かけました。
前編は「廃鉄」テイストでしたが、今回は「町歩き」テイストです。
前回あった謎の空き地や廃線跡を調べたところ、かつてこの辺りも埠頭や工場に多数の引込み線があり、年月と経緯を経て今の形になったようです。この辺の経緯は東神奈川の廃線で調べれば詳細が出ています。
こうして検索をして調べていたところ、たまたま出てきた画像にびっくり。
首都高の高架がある運河に漁村のようなとんでもな風景。
「子安に漁村?」
金沢八景は釣りの名所で多数の釣り船宿があるのは知ってましたが、子安といえば京浜工業地帯のど真ん中。
そんな場所に漁村があるなんて信じられないではありませんか。地図を見てもただの運河しか載ってません。
これは見に行くしかないでしょうと、寄り道することにしました。
最寄りは京急の子安ですが、JRではその手前の新子安にしか駅がないのでここから歩くことにして出かけました。
最寄りの駅から東京に出て、東海道ー京浜東北線が一番早いでしょうと出発しました。
そしたら運悪くJR線が人身事故でストップ。仕方なく急遽品川から京急に変更。
最近、多すぎでないかい。
各停しか止まらないせいか、JRの駅に比べて小ぶりな「いかにも私鉄駅」という感じの京急新子安駅で下車。
海岸方向に行こうとしたら首都高のインターがあって進めないので、「箱根駅伝」のコースでおなじみのR15を子安方面に。
「入江橋」に運河を渡る橋があるので海岸方面に入って行くと、児童公園が。
一服しようと入ろうとすると、入り口に「皇紀」や「在郷軍人会〜」という石碑が。
見た目はよくある住宅地の児童公園なのに、歴史が重い場所なのかという感じ。
なかなか手強いぞ子安。
その公園のある住宅地を抜けると「ここは昭和中期か?」と思うバラックづくりの小屋が並ぶ、凄まじい光景が出迎えてくれます。
そして岸に繋がれた漁船。そこだけ見れば旅に出たような漁村の風景です。
打ち捨てられた沈んだ船が郷愁を誘ういい味を出してます。
その先には首都高の高架、後ろには少し高くなったところに並ぶマンション。それは間違いなく「平成」の時間軸です。
このコラージュしたような風景がなんとも不思議な気分にさせてくれます。
そして、運河を渡った先には高島線の踏切があり、貨物列車が走ってきます。
ここは横浜です。しかし新都心や観光地のMM21地区とはまったく別の町です。
その運河沿いに道があり「浜通り」とあります。
そしてマンションが並ぶR15沿いよりも低いので、かつての海岸線はここだったのでしょう。
漁港の風景を見ながら横浜方面に歩いて行きました。
路地を入ると井戸があったり、古い民家が並んでたり。その光景は東京で姿を消しつつある「古きよき下町」を感じさせてくれました。
運河なのに漁村の風景、上に高架の首都高。その奥は工業地区。
建物の表記にここが「子安浜」であることを教えてくれてます。
そんな風景が1キロくらい続いていて、2つ目の橋を界に船はまったくなくなり普通の運河になってました。
浜通りは先に続いてましたが両側にマンション建つ「現代」に入って行ってます。
どうやらここまでが「子安浜の漁港」のようでした。
この先は見るものがなさそうなのでR15に出ると、京急の「神奈川新町」駅の近く。
「東神奈川」に当たる「仲木戸」までは1駅だったので、歩いてもよかったですが面白味もないし時間の短縮も兼ねて電車で移動。
先日回れなかった滝野川の川にせり出したバラック住宅を探しに行きました。
道路からは古い家があるだけでわかりませんでしたが、JR線のガードを抜けた先の橋から下流を見るとありました。
先ほどあった古い家が川にせり出してます。
もっと並ぶようにあるのかと思いましたが、建設計画の表記があったりしたので整理されたのでしょうか。
多分、今残ってるものも危険なために近くなくなってしまうと思います。
その滝野川ですが、地図で見るとR1のところで消えてるのです。交差点まで出て反対側を見ると、確かに向かいには商業施設しかなく国道の橋で暗渠になってました。水源は山側の三ツ沢あたりとあったので行ってみる予定でした。
先日見た廃線跡のことがわかったので、駅に戻るついでに瑞穂埠頭の方へ寄り道。
先日、踏切で見た訳ありの分岐とボロボロの橋梁がつながっていたのがわかったので見て見ると、なるほど、倉庫会社の敷地の端がゆるいRを描いてます。
なかなか興味深いです。
一回りをして東神奈川の駅に戻りました。駅のそばにかつて港湾従事者のためのドヤ街があり、その痕跡があるとあったので探してみました。しかし「らしい」建物があってもそれを感じさせるようなものはみつからず。
工事中の敷地があったのでなくなってしまったのかもしれません。
またしても雨が降り出したので、三ツ沢へ行くのはやめて先に記事にした黄金町だけを見に行って帰路につきました。
この「子安浜」の漁港、よくよく調べてみると近隣を始め知られた存在のようで。
昔の大森や羽田のような漁港でしたが埋め立てや東京湾の水質悪化で漁業権をほとんどの漁師が手放してなくなった中、残ったところのようです。アナゴ漁がメインだとか。あと、屋形船や釣り船に転職した家もあるとか。
横浜運河巡りクルーズのコースになっていて、海側から眺められるらしいので乗りに行ってみたいです。
今回は鉄分薄めでした。
読んでくださってありがとうございます。