当時の夜行列車は増結で編成は倍増。ローカル線は「山手線並みのラッシュ」
こんばんは。高校時代の旅メモと旅行記。Cブログが余裕あるのでそこで集中連載と思い、しっかりリンクを貼ってここで紹介を書きましたが、開けてみると「全然読みに行ってくれてな〜い(涙)」。
こうなったらということで「北陸シリーズ」と混ぜて、ここで書いちゃえと。
結構乱雑に色々混じってるので、複線でいいかと。
あと、背景変えました。冬っぽくて渋いのあったので。文字読みづらいかな。
サイドバーにあったリンクとかが下になってしまったので、!P1記事に変更しました。
さてさて続きは、青函連絡船で函館に上陸。函館駅のホームに降りるとこから。
→函館からは乗りたかった「急行ニセコ」。14系座席車4両に3両の荷物車。
車内はガラガラ。先に特急の北斗と臨時の急行すずらんが出てるから、急ぐ人はそっちろ使うでしょう。
定刻に発車。五稜郭あたりまでは架線柱が立ってる。
その辺りで案内放送の時、珍しく車掌が名前を言った。(当時は運転手や車掌が、名乗るなんてことはなかったのです)
大沼公園や駒ケ岳がいい感じ。ほぼ直線の線路を疾走するのは気持ちいい。
長万部でついに3号車はほぼ貸切に。結局、終点札幌までガラガラ。
今夜も車中泊。急行まりもの自由席。さすがに人気列車だけあって自由席は札幌発車時点で満員。道東は夜明けが早過ぎ。ま だ3時台の池田で明るくなってる。
結局、終点まで自由席は満員。寝台車に乗れる身分になりたい。
今日は、標津線の一番列車に乗って、根室標津まで行ってバスで見て見たかったトドワラへ。
朝から単行のディーゼルはラッシュ並みに満員。
中標津から厚床へいく列車は、満員であまりの暑さに前部の貫通扉開けてたよ。
このころの北海道のローカル線は4往復しかない路線があるとはいえ、昼間の移動に使える列車は単行なのでラッシュ並みに混んでるのがデフォでした。当然エアコンなんてものはありませんので、そりゃあ暑かったですよ。
まさに「山手線並みの赤字ローカル線」。
(補足)この当時、北海道の有人駅では通過列車を駅長が進行の旗を持ち、直立不動で見送る姿が印象的というか格好よかった。この姿こそ鉄道員(ぽっぽや)的感じでした。
当時の写真、見つけたいです。
今回も読んでいただきありがとうございます。