基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

1986年夏休み北海道乗り歩きの旅・1 「1986年7月28日〜8月6日」

こんにちは、18歳の旅メモを前回まで書いてきましたが、それじゃあログとして残せません。
なので、今回より、計画段階から旅日記まで分けて書いていこうと思います。

かなり長くなるので、切れ目切れ目に去年の北陸旅行を挟んでいきたいと思います。
同じ旅行記がみかん文と二つあるのはなんでなのか覚えてませんが、主にメインになる文を優先して書いていきます。


1986年、高校3年の夏休み。バイトで働いたお金を元手に私は去年に続き北海道へ行きました。
高校3年と言えば受験です。しかし私は進学するつもりはありませんでした。

なので、旅行をするため学割証を戦線に頼みましたが、「こんな時期に旅行なんてしてる場合じゃないだろう。いくら受験しないで専門に行くと言っても、秋になったらやっぱり大学受けたいっていうに決まってる」と、全く学割証については相手にしてくれませんでした。

もしかしたら、指定券を取るより難しいことだと思いました。

時期は「国鉄解体」のとき。ローカル線がどんどん廃止されていた時です。
これは今でも同じ考えですが、「なくなったものは二度と戻ってこない。だから旅でもライブでも行けるとき行く」

親との話し合いまでおおごとになりましたが、やっとが加え衣装を手に入れ「北海道ワイド周遊券」を手にすることが出来ました。


Act.1 旅行日まで。

学割を申請する前、前の年の北海道旅行で稚内しか行けなかったのでバイトの日数を増やして予算を大きく撮りました。
1985年に言った時は、稚内と、美幸線に行くの耳で、資金不足になった反省からです。

最初にプランを作った時には、北海道を全域乗り歩くという壮大というか、無茶な計画でした。
当然、固定費だけでも10数万になり、どんなに絞り込んでも減らすことができませんでした。

そのため、縮小に次ぐ縮小で、1986年2月に作った計画が実行されることになりました。(早い)
その時に廃止対象の第二次特定地方交通線が発表となり、瀬棚、胆振、富内、士幌、湧網、そして、まさかの幸福駅で有名な広尾線まで廃止対象になりました。

そのため、すでに原案段階で出来上がっていた計画を全面的に見直すことに。しかも3月のダイヤ改正襟裳岬を回る国鉄バスの時刻が変わり、1日で周りきることができなくなりました。

しかし、日程の増加は固定費の増大につながることになるので、これは無理だと諦めたこともありましたが、バイト代に貯金をおろして資金に充てました。

加えて車両や列車廃止も重なったので、廃止ローカル線の半分くらいを諦めました。
10日以内にまとまったのは夏休みの直前。やっともらえた学割証を使って池袋に「北海道ワイド周遊券」を買いに行ったのでした。

今回は10日にもなるので、全部車中泊にするわけにもいかないので、初めて「ユースホステル」を利用することになり、予約も済ませ、出かける日を待つだけになりました。


(続く)