基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

「福島ー米沢」板谷峠4駅連続スイッチバック・最後の冬

f:id:MIKIMOTO7:20200628201019j:plain


こんばんは。自粛が解除されて移動も可能になりました。
7月には連休があるので、久々の家出を考えてます。


散策は何度か出てるので、企画ものでない旅鉄ものもまとまったら記事にしたいです。


今回は更新間隔が空きすぎてしまうので、回顧ものを。
山形新幹線」となっている「福島ー米沢間」の板谷峠

今では電車が本線を通過してますが、かつては4駅連続スイッチバックだった区間
しかも普通列車はすべて客車列車でした。


時刻表の路線図では普通の駅のように書かれてますが、地図は駅が飛び出してたのです。
それが不思議でわざと普通列車に乗ってみて、「こういうことだったのか」と。


その「4駅連続スイッチバック」が、廃止されるのを知った冬に乗りに行った時の写真が残ってました。
しかも、乗った列車の編成まで記録してたとは。当時はマメでしたねー。

それもありますが、今より乗り継ぎや入線から出発までの時間が長かったからだと思います。


記録によると、昭和60年2月10日、福島発山形行き429列車。
山形方
EF71-4(機関車)
1.オハフ61−3066
2.オハ47−2057
3.オハ47-2036
4.オハフ33−2247

4両編成で2両目は近代化改装の青色。
残り3両は茶色。

1両目にレア車両のオハフ61。
4両目に改造なしのオハフ33。

まるで乗りにきたファンのために組んだんではないかと思う編成。
特に1両目の61系客車は、元々木造車だったボディを鋼製にした客車。

f:id:MIKIMOTO7:20200628201033j:plain

ポジフィルムではなく、紙焼きをスキャンしたので画像が悪くてすいません。


なんと、背ズリがモケットのない木丸出しなんですよ、お兄さん。
内装はニス塗り。窓を覆うのはよろい戸というらしいです。

f:id:MIKIMOTO7:20200628201036j:plain

レトロというか、タイムスリップしたような車内。まさに「3等車」


もちろん、オハフ61に乗車したのは言うまでもありません。
当時でさえ「走る骨董品」でしたが、全廃になって1両も残ってないのでしょうか。

 

福島を出て、庭坂からは高度を上げていき福島盆地を見下ろしながら、山間部に入っていきました。
山越えを感じる車窓になったところで、最初のスイッチバック駅「赤岩」。


この区間にあるスノーシェッドはスイッチバックのため、ポイントなどを雪から守るために建てられたものです。
今となっては遺構ともいえると思います。


どの駅が引き上げ線に入ってバックでホームに入るか、憶えてません。すみません。

文字どおりの「峠駅」は雪に埋もれてました
そんな中、名物「力餅」の立売りが。

f:id:MIKIMOTO7:20200628201034j:plain


「峠」を出てトンネルをくぐると下り坂。


最後のスイッチバックとなる「大沢駅」では、
列車交換のため、まとまった停車時間があったようで全体写真がありました。

f:id:MIKIMOTO7:20200628201055j:plain

f:id:MIKIMOTO7:20200628201949j:plain

新しい赤い50系客車も全廃しました。

 

特急は複線の本線を走るので列車交換がありませんが、普通列車は駅での交換が多かったような気がしました。
関根駅」まで降りると米沢盆地を山形まで、各駅停車なのでマイペースで走っていきました。


そして終点山形。
当時の客車列車に多かったですが、車両はそのまま別列車となりさらに先へ向かいました。


もっと乗っていきたかったですが、山形から仙台に出ないとその日に帰れなくなるので残念。
仙山線の列車に乗り換えて、再び奥羽山脈を越えて仙台に向かいました。


記憶違いがなければ、春から「山形新幹線化」のため改良工事で長期運休になったと思います。
同時にスイッチバックは解消されました。


「列車の旅の魅力」が詰め込んである、旧型客車での峠越えも今となっては昔話です。
今は新幹線車両と専用電車が本線部分を使って走っているのは、みんなが知るところです。


しかし、せっかくの新幹線車両ですから、国道のように長大トンネルで大幅なスピードアップが必要な区間だと思います。
そうしないと新幹線化したメリットが100%発揮されませんが、建設費が莫大になるのでかなり難しいのでしょう。


今回も読んでいただきありがとうございます。